注 1)
ほとんど読みとることは出来ないが、墨痕の残る貴重な文化財(窪野目の徳昌寺)
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窪野目と大清水の境に一楽壇という 塚 があった。その中から板碑(注 1 )が 3 基出土し、1基に「 応永( おうえい ) 九年四月拾七日 孝子敬白 若心求仏恵 通達菩提心 父母所生身 即証大覚位」と 墨書 ( すみがき ) されていた。
ほとんど読み取ることはできないが、 墨痕 ( ぼっこん ) の残る例は少なく貴重な文化財である。
板碑はもともと供養塔として塚の上に立っていた。
一楽壇は、 中世 ( 室町 時代)の 土壇 ( どだん ) か 墳墓 ( ふんぼ ) であったらしい。
(川崎利夫氏「天童の歴史散歩」より)
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