古川橋 ( ふるかわばし ) から 500 メートルほど南、ゆぴあ方面に向かった土手の上に 石碑 ( せきひ ) が立っている。「 大乗 ( だいじょう ) 妙典 ( みょうてん ) (注 1 ) 一 ( いち ) 字 ( じ ) 一石 ( いっせき ) 供養塔 ( くようとう ) 」「 見性 ( けんしょう ) 八世 義單 ( ぎたん ) 代」「延享三丙寅天八月十九日蔵増惣村中」と 記 ( しる ) されている。 この頃の最上川は、このあたりまで水の流れがきて、毎年のように 水害 にみまわれ、村人を 悩 ませていた。 見性寺 ( けんしょうじ ) の義單和尚は 1 つの石に 1 文字ずつの 法華経 ( ほっけきょう ) を書いて埋めて、最上川の 氾濫 を防ごうと 祈願 ( きがん ) した。
石碑の後ろは土手になっており、昔はここまで最上川が迫ってきていた。蔵増の歴史は、水との闘いの歴史でもある。 (
注 1 )妙典:みょうでんとも読む。微妙なすぐれた法を説いた経典。仏教の経典。特に法華経をさしていうことが多い。 |