10. 経塚 ( きょうづか ) の 碑 ( ひ ) (1746)

  古川橋 ( ふるかわばし ) から 500 メートルほど南、ゆぴあ方面に向かった土手の上に 石碑 ( せきひ ) が立っている。「 大乗 ( だいじょう ) 妙典 ( みょうてん ) (注 1 ) ( いち )( じ ) 一石 ( いっせき ) 供養塔 ( くようとう ) 」「 見性 ( けんしょう ) 八世 義單 ( ぎたん ) 代」「延享三丙寅天八月十九日蔵増惣村中」と 記 ( しる ) されている。 

 この頃の最上川は、このあたりまで水の流れがきて、毎年のように 水害 にみまわれ、村人を 悩 ませていた。 見性寺 ( けんしょうじ ) の義單和尚は 1 つの石に 1 文字ずつの 法華経 ( ほっけきょう ) を書いて埋めて、最上川の 氾濫 を防ごうと 祈願 ( きがん ) した。
(渡邉政氏「蔵増の歴史」より)

 

石碑の後ろは土手になっており、昔はここまで最上川が迫ってきていた。蔵増の歴史は、水との闘いの歴史でもある。 

( 注 1 )妙典:みょうでんとも読む。微妙なすぐれた法を説いた経典。仏教の経典。特に法華経をさしていうことが多い。