11. お 藤 ( ふじ ) 地蔵 ( じぞう ) ・ 藤壇 ( ふじだん ) の 碑 ( ひ ) (1768)

 蔵増から 願正壇 ( がんしょうだん ) に向かう 西手 ( にして ) (寒河江街道から 300m ほど南に向かったところ)に「 南無 阿弥 陀仏 明和 ( めいわ ) 5 年」と 刻 ( きざ ) まれた 石碑 ( せきひ ) が立っていた。現在は、田んぼの区画整理のために蔵増南公民館の西側に移されている。

 この石碑には「お藤という 孝行娘 ( こうこうむすめ ) が 4 月 8 日は 一切 ( いっさい ) の仕事を休み 水神様 ( みずがみさま ) を 祀 ( まつ ) るという村の 掟 ( おきて ) を忘れ、 貧 ( まず ) しく 老 ( お ) いた父親を思い 機 ( はた ) を織って 処刑 されてしまい、毎夜 亡霊 となって 現 れた。その霊を 慰 めるために建てられた」という 悲話 ( ひわ ) が伝わっている。

 また、昔この一帯は松林で、 開墾 ( かいこん ) で切り倒された 樹 ( き ) の 供養塔 ( くようとう ) という言い伝えもある。
  (渡邉政氏「蔵増の歴史」より)

 

親孝行娘の悲話が伝えられている 「お藤地蔵」