5. 西常得寺 ( にしじょうとくじ ) の 蟠形杉 ( ばんけいすぎ ) ( 鎌倉時代頃から )

 俗称「 化杉 ( ばけすぎ ) 」。 樹齢 700 年前後といわれ、村山地方でも最も古い木に数えられている。真っ直ぐに伸びるはずの杉が、 幾本にも 枝分 かれして伸び、からみあっている状態が、 蛇 がとぐろを巻いているように見えるところから、蟠形杉と呼ばれるようになったものと思われる。平成 7 年、天童市の天然記念物に指定された。
(西常得寺の説明板より)

☆☆  前田 ( まえだ ) ( けい ) 次郎 ( じろう )  ☆☆

 現在の 西常徳寺 ( にしじょうとくじ ) は、 永禄 ( えいろく ) 5 年( 1,562 年)、天童市高擶の 願行寺 ( がんぎょうじ ) の四世 教証坊 ( きょうしょうぼう ) の三男、 釋玄徳坊 ( しゃくげんとくぼう ) が倉津安房守から寺地を授かり、 向願寺 ( こうがんじ ) と称したのが常得寺の始まりと伝えられている。

玄徳坊が亡くなってから火災にあい、慶長年間はすっかり衰退してしてしまった。たまたま 尾州 ( びしゅう ) (注 1 ) 前田 ( まえだ ) ( けい ) 次郎 ( じろう ) という人物が 故 ( ゆえ ) あってここに住まいし、 秀誉坊 ( しゅうよぼう ) と 名乗 ( なの ) り、寺を常得寺と改称したという。

(山形県仏教会「山形のお寺さん第四集」より)

(注 1 )尾州:現在の愛知県西半部。室町時代に織田信長が勢力を拡大したところ。
------------------------------------------------------------

 <------ 蛇がとぐろを巻いた形から 蟠形杉と言われている。  

<--- 蟠形杉のコブ(蛇の頭に似ている?)

 

☆☆ 「 利家 ( としいえ ) とまつ」 に登場した 前田 ( まえだ ) ( けい ) 次郎 ( じろう ) という人物 ☆☆

  前田慶次郎は、平成 14 年にNHKで放送された大河ドラマ「利家とまつ」に登場している。検証が必要であるが、そのストーリーによる人物像を紹介すると、前田慶次郎は、加賀百万石とうたわれる前田利家の兄、 利久 ( としひさ ) の 養子で、利家の義理の 甥 ( おい ) にあたる。  

  実父は滝川 益氏 ( ますうじ ) で、母、つねの連れ子として前田家に入る。織田信長の主命により 家督 ( かとく ) 相続 ( そうぞく ) がならず、前田家を去り 放浪 ( ほうろう ) 生活を送るが、利家のもとに戻って家臣となる。利 家に 従軍 ( じゅうぐん ) し、戦場でも大いに活躍。若い頃の利家のような 剛勇 ( ごうゆう ) と 気骨 ( きこつ ) のある“かぶき者”ぶりが有名で、利家同様、 槍 ( やり ) の 名手でもあった。一方、 詩歌 ( しいか ) ・ 連歌 ( れんが ) が巧みな知識人で 文武 ( ぶんぶ ) ともに 長 ( た ) けていたという。

 しかし、いつまでも利家に仕えることを 潔 ( いさぎよ ) しとせず、利久没後の 慶長 ( けいちょう ) 3 年( 1,598 年)、 6,000 石を捨て 出奔 ( しゅっぽん ) (注 1 ) 。浪人生活を経て、会津の上杉 景勝 ( かげかつ ) に仕官。関ケ原の合戦では上杉軍として参戦し、勇猛に戦う。その後は上杉家を出て放浪生活を送ったともいわれる。

 その前田慶次郎が、この当地に住み落ち着き、 秀誉坊 ( しゅうよぼう ) と 名乗 ( なの ) り、常得寺を再興したという伝えと、現西常得寺には前田慶次郎が織田信長から拝領 (大河ドラマでもそのシーンを放映。) したといわれる 薙刀 ( なぎなた ) 一刀 (大戦時鉄材押収により刀部は無し) が残されているということ、それらが史実とすれば歴史的な系譜がこの地に残ることになる。

(注 1 )出奔:江戸時代、武士が逃亡して跡をくらますこと。
( NHK 大河ドラマ「利家とまつ」加賀百万石物語より前段引用)

前田慶次郎が織田信長から拝領 したといわれる 薙刀(刀部なし)   --->