7. 向去 ( むかさ ) り 道 ( みち ) ( 天 ( てん ) 正 ( しょう ) 年間 1573 〜 92 )

  山形城主 最上義光 ( もがみよしあき ) は、 谷地 ( やち ) 城の 白鳥 ( しらとり ) 十郎 ( じゅうろう ) 長久 ( ながひさ ) を 攻略 ( こうりゃく ) するため 縁組 ( えんぐみ ) を 計略 ( けいりゃく ) 。義光の長男 義康 ( よしやす ) に白鳥十郎の娘 日吉 ( ひよし ) ( ひめ ) を 嫁 ( とつ ) がせる話をまとめると、嫁入り 行列の道として谷地と山形とを結ぶ 新道 ( しんどう ) (向去り道)を 蔵増 ( くらぞう ) 大膳 ( だいぜん ) ( のすけ ) 親景 ( ちかかげ ) らに命じて切り 拓 ( ひら ) かせた。その後、義光は 仮病 ( けびょう ) をつかい見舞いに来た白鳥十郎長久をだまし 討 ( う ) ちにし、この道を 一気 ( いっき ) に 攻 ( せ ) め 上 ( のぼ ) り谷地城を 落城 ( らくじょう ) せしめた。

(天童市「てんどうのむかしばなし第二集」より)