9. 古戦場 ( こせんじょう ) ( 梶塚 ( かじつか ) 勇之進 ( ゆうのしん ) の墓)

 戊辰 ( ぼしん ) 戦争 (1868 年 ) での 戦場地。梶塚勇之進は 官軍 ( かんぐん ) 側の 漆山 ( うるしやま ) 陣屋( 館林 ( たてばやし ) 藩 ( はん ) )の 砲兵 ( ほうへい ) 隊長であった。 相撲 ( すもう ) の 関取 ( せきとり ) のような大男だったと言う。この人をはじめ多くの官軍が戦死した。

 現在の村山橋のたもと、鈴木恵宅の北側に「梶塚勇之進戦死」と刻まれた石柱が建っており、また、太田製材の西側の農道を南へ 300 mほど進んだ所に「梶塚勇之進の墓」がある。

 同年(慶応 4 年・明治元年( 1868 年))には、官軍側の 吉 ( よし ) ( だ ) 大八 ( だいはち ) が窪野目村 熊澤 ( くまざわ ) 忠八宅で 戦略を練 ったという記録もある。戊辰戦争で

 

は現在の蔵増、高野辺など多くの家が 庄内軍 ( しょうないぐん ) による 焼き打ちに合い、蔵増の歴史をたどる多くの資料が 焼失 した。                                           

 

太田製材所西側農道を南へ 300m 程の所に、戊辰戦争で庄内軍と戦った官軍砲兵隊長「梶塚勇之進の墓」がある。 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

村山橋たもとの「梶塚勇之進戦死の地」の石柱。橋の工事で少し移動した。