1.矢野目 ( やのめ ) 彦五郎 (ひこごろう ) の五輪塔 ( 鎌倉時代  1192 年  建久 ( けんきゅう ) 3 年頃 )

 矢野目の西北、昔の 蛇行 した倉津川のほとりに五輪塔 (注1) があった。今は 五輪橋 ( ごりんばし ) 下流南側の 堤防岸に移され、矢野目彦五郎という 郷士 ( ごうし ) (注2) の墓と伝えられている。矢野目氏はとても 温厚でその 人柄 を慕って多くの人がこの地に住み着き、 家並 みが増えていったと記録に残っている。

矢野目氏は 1192 年( 建久 ( けんきゅう ) 3 )、 月山 神社を 飽海郡 ( あくみぐん ) から 分霊したとも伝えられ、現在の月山神社の頂部に備えられている 宝珠 ( ほうじゅ ) (注 3 ) は、矢野目彦五郎の 修験所 ( しゅげんじょ ) であった 解 ( かい ) 道院 ( どういん ) の宝珠を移設したものといわれている。

 

 

(注1)五輪塔:五つの石を下から方・円・三角・半円・宝珠の五大に形どって積み重ねた石塔。(旺文社辞典)。

五輪塔:仏教の五大思想の教えによる宇宙観を表した地・水・火・風・空の五元素から形成されているという考えにより、五輪が 大日 ( だいにち ) 如来 ( にょらい ) を本尊とする供養塔として発展した。形の特徴としては、簡素で良く整っているものが鎌倉時代、幅に比べて背が高くなるのが室町時代、跳ね上がるような形のものが江戸時代に見られる。                 
(大木彬先生「蔵増地区における明治以前の石造文化財」より)

(注2)郷士:身分は公に武士と認められながら、業態は庶民(農民)である者の総称。事ある時は戦場に出る。(小学館辞典)
(注3)宝珠:仏語で、宝の玉(珠)(小学館辞典)