7. きゅうり 天皇 ( てんのう ) (民話)

 矢野目 辺 ( あた ) りに悪い病気がどんどん広がって いたとき、ヤマタノオロチを 退治した 素戔鳴尊 ( すさのうのみこと ) が 現 れ、 悪病 ( あくびょう ) をまきちらす 賊 ( ぞく ) にきゅうりを投げつけ 退治 してくれた。村人は素戔鳴尊をまつる 八坂 ( やさか ) 神社 を 建 ( た ) て、 悪病 ( あくびょう ) ( はら ) い、 五穀豊穣 ( ごこくほうじょう ) 、 火難 ( かなん ) よけの神様として、旧6月 15 日の八坂神社のお 祭 りには、「きゅうり」をお 供 えしてお参りするようになったという民話が伝わっている。

 

【きゅうり天皇(民話)に関する図書】 
−天童のむかしばなし第二集より−

 前段、上記のとおり。

愛宕 ( あたご ) 山(舞鶴山)に城を築いた天童 頼直 ( よりなお ) の二男、頼泰が 悪魔払 ( あくまはら ) いのために、山の上から、矢野目の方角に向けて弓を引き、三本の矢を放ちました。矢は、ちょうど八坂神社のところまでとどき、頼泰は、そこに 弓 ( ゆみ ) ( たけ ) の塚をつくらせ、八坂神社に、 悪病 ( あくびょう ) 退散 ( たいさん ) を 祈願しました。こうして天童の殿様の厚い信心を受け、多くの人たちがお参りするようになったそうです。(弓丈の塚は土地改良事業で田んぼになり、いまでは見られなくなりました)

旧 6 月 15 日の八坂神社のお祭りには、いまでも 氏子 ( うじこ ) の人たちや、近所の信者たちが、きゅうりをお供えしています。「きゅうり天皇にきゅうりをお供えした後でないと、きゅうりを食べない」という 風習が近年まで受け継がれるなど、むかしからの信仰心が、いまも、多くの人たちの心の中に、脈々といきづいています。