8. 西沼田 ( にしぬまた ) 遺跡 ( いせき ) ( 古墳 ( こふん ) 時代  6 世紀末から 7 世紀前半)

  今から 1400 年くらい前の 古墳時代の 古代 農村集落 跡。 聖徳 太子が現れるころ、西沼田の人々は 水田稲作 農業をすでに 始めており、それを主として集落をつくって生活していた。

 普通の遺跡では、ほとんど 失 われてしまう 建物の柱や 部材 、 木製 農具 をはじめとした 道具類 、 稲、 麻や、木の実なども 大量に発見された。時代を超え長い間、 原形を 推測できるような木製品が出土したのは、地下水位が高く、空気にふれないで、水に 浸 ( ひた ) されたままの 状態で 保存 されてきたからである。

 12 棟の建物と 1 棟の 高床 式 倉庫も 確 認 されている。この時代の 住居跡は、 竪穴式のものが多いが、西沼田の住居の 特徴 は 地下水位 が高く 湿気があるため、柱を地面に打ち込み内部に 板敷 きなどをしていた。形状は、一辺4〜6メートルの長方形で、内部には 間仕切 りもあった。高床式の倉庫は 籾などを収納 したもので、長くて厚い板に刻みを入れた 梯子も見つかっている。柱にはねずみ返しも 細工されていた。ほかに、木製の 鋤 ( すき ) 、 鍬 ( くわ ) 、 田下駄、 鎌の 柄、 脱穀 の時に用いた 杵 ( きね ) なども発見されている。麻の実や、はたおり機の部品も見つかっており、水田農業のほかに布をさかんに 織っていたことがわかる。また、曲物・ 槌 ・ 下駄・ 櫛 ( くし ) などもあり、 舟をこぐかいや、 祭 り用の 弓 ・ 矢も発見されている。

 古墳時代後期の農村集落のようすを知ることができる 貴重な遺跡で、昭和 62 年( 1987 年)に国の 指定 史跡 となり、平成 14 年度から遺跡の保存と復元、そして学習、農村文化の体験と交流の場としての整備に着手している。


西沼田遺跡の原樹叢について(天童の文化財vol.5より)

1.はじめに
 人間の住むところにはかならず草や 木がありました。人間は古来、これら のものをいろいろな形で、生活のなか に取り込んで生きてきました。 西沼田遺跡に住んでいた人たちは、 どんな自然環境の中で、どんな植生の 森を見ながら、生活していたのでしょ うか。
 出羽の三森や神社・仏閣の杜の現植 生、植物の生育分布を左右するといわれる温量指数、西沼田遺跡の花粉分析
の3点から、西沼田遺跡の原樹叢につ いて考えて見たいと思います。

2.出羽の三森と神社・仏閣の樹叢

 出羽の三森(舞鶴山、八幡山、越王 山)や多くの神社・仏閣(天童・熊野 神社、仏向寺、三宝寺、成生・薬師神社、 稲荷神社、龍頭権現社、性源寺、蔵 増・西常徳寺、高擶・諏訪神社、清池 八幡神社、安楽寺等)の杜の植生状態 から、西沼田遺跡を包合する立谷川・ 乱川扇状地一帯はコナラ属が優先種で ヤケキ、エノキ、ハルニレ、カスミザ クラ、ケンポナシ等を構成要素とする 落葉広葉樹、アカマツ、スギ等の針葉 樹、アカガシ、シラカシ等の照葉樹、そ れにハンノキ、サワグルミ等の湿地林 など、極めて豊富な森林植生であった ことが分かります。

3.温量指数

 植物が生育するには5度C以上の温 度が必要です。月の平均気温が5度C 以下であれば、生育に必要な有効温度 は0です。平均気温が12度Cであれば 12-5=7で、7が有効温度になりま す。こうして算出した有効温度を、年 間積算したものを温量指数と呼んでい ます。天童温泉88・6、田麦野82・0、天 童高原74・2、蔵王温泉67・7です。
 それぞれの植物にはその植物にあっ た温量指数があり、植物は温量指数の 備わった環境の所に分布します。確認された91科、423種の植物は、すべ て裏日本要素の植物で、この温量指数 に整合するものだけです。

4.西沼田遺跡の花粉分析

 花粉の形態は、植物の種類によって 固有です。花粉の外膜はスポロポレニ ンという強靭な物質から出来ており、 時によっては、何万年とその姿を留め ます。その花粉を検出して分析すれば、その形態から母体の植物が何であるか 同定することが出来ます。
 花粉分析の結果、出現した花粉数は 2,872で、22属35種ほどの樹木が生育し ていた可能性があります。 樹木はハンノキが優先種で、ミズナ ラ、ブナ、サワグルミ、ケヤキ、ハル ニレ等の落葉広葉樹、キタゴヨウ、ア カマツ、スギ等の針葉樹、アカガシ、シ ラカシ等の照葉樹がありました。興味 あることは1の扇状地帯の樹叢と2の 温量指数に整合していることです。

5.おわりに

 西沼田遺跡の人々は極めて豊かな森 林植生の環境の中で、それらの樹叢と 密接な関わりを持ちながら心豊かに生
活していたことが想像されます。